思考の小部屋

考えてはいけないことを常に考える。それはきっと喜ばしいこと。ここは普段表に出さないことをぶちまけるダークサイド。

妻について思うこと

記憶は薄れるものだ。それを補完するために、ここに記す。

当初予定から大幅前倒しで、妻は計画帝王切開を経て出産した。
一度直った逆子が、直前にまた逆子になり、やむなしの決断であった。
輸血まではいかなかったものの、オペでの出血が多めだったため、鉄分の著しい不足により出産直後はかなり辛そうであった。その後は、点滴などを処置してもらい、体調は回復傾向になって来ている。

この3年ほど、妻と私は不妊治療に取り組んできた。折りしも世の中でコロナ騒動が起き、この状況で出産するのはいかがなものかということで、一時期治療を中断した。さらには、もう二人で生活していこうかという話も、実際していた。

しかし妻は、東京オリンピックを3人でテレビの前で見るのだ、という夢を諦めなかった。また、年齢のこともあり、ここが正念場ということで、昨年初旬から、不妊治療の最終段、体外受精に臨んだ。

最初の新鮮胚移植は、着床しなかった。しかし、それにより原因がわかり、妻の抗体バランス(TH1/TH2)による着床不全ということが明らかになった。

続く凍結融解胚移植では、抗体バランスを薬でコントロールし、無事着床に至った。
採卵や胚移植での多量の薬剤投与やオペなど、妻は私には想像も出来ないくらいの不安と苦痛を超えてそこまで成し遂げた。テレビの前で、コロナのために2021年に繰越となった東京オリンピックを3人で見ることができたのである。

しかし、妻の苦労はまだ終わらない。妊娠中期に行う糖負荷試験で引っかかり、糖コントロールをすることとなったのだ。食事を5回に分け、メインの3回の後には毎度血糖測定を行うという、非常にストレスのかかる毎日である。

それすらも超え、さらに出産直前で再度逆子になり、帝王切開で名実ともに「お腹を痛めて」妻は出産をしたのである。

これまで、結婚してから、家事は全くやらない、自分のこともろくにやらない、で、私がやって来ていて、昨年からようやく洗濯だけはやってくれるようになった妻であるが、この数年間の辛さは私には想像できないものがあったのであろう。

子供がうまれ、病院で母子同室で過ごす妻は、今までのゴミ箱もさわれないようなお嬢だった妻とは、全くの別人のように逞しく、生き生きとしていて、(うまくいかなくて辛そうな時もあるが)幸せそうに自分の子供の面倒を見ている。

私はあの時、子供を諦めず、妻の後押しをして良かったと、心の底から思った。先に旅立つであろう私にできる、最大のプレゼントを妻にはできたと思っている。

そして、大方の世の妊婦たちが経験しなくて良い困難を全て超えて、私たちの子を産んでくれた妻には、感謝と畏敬の念で一杯である。強い意志と実行力で信念を貫いて、ここまで来た妻を、私は誇りに思う。とても立派な女性です。本当に、ありがとう。

子供の名前の由来について

先日、第一子が誕生した。男の子である。
名前も決めて、もう役所に届出済みである。

名前は、「ようたろう」とした。漢字は伏せておくこととする。

表向きには、漢字の意味も含めて、もっともらしい名付けの意味などを出しているが、実際は違う。妻の実家のご両親などからも「どうやって決めたの?どこからか持って来たの?」などと聞かれたりもしたが、「なんとなくです」とはぐらかして今に至っている。

おそらく、我が子はこの記事を見ることはないだろう。私の個人的な思い出として記す。

結婚してしばらくしてから、妻が何か無茶言うと、私は「それは、無理ぽよ」と、どこぞの掲示板で頻出するスラング丸出しで受け答えしていたのだが、妻はその「ぽよ」と言う響きが気に入ったらしく、私のことを「ぽよ」と呼ぶようになった。

時が流れ、子供が出来、男の子であることがわかった時点で、彼の呼び名は、私の息子ということで「ぽよ太郎」となった。

いつしか「ぽよ太郎」は、ほとんど我々夫婦のなかでオフィシャルな呼び名となった。
だが、さすがに役所に「ぽよ太郎」で届出するわけにもいかないので、それらしい名前を考えることにした。

とは言っても、今更別の呼び名というのもしっくりこず、新しい名前の決定は難航した。妻も私も、長い間「ぽよ太郎」と呼びすぎたのだ。

しかし、ある時、私が「ぽよー太郎」と、妻の腹の中の子供に呼びかけた時、降りて来てしまったのだ。

「”ぽ”を抜いて、”よーたろー” → ”ようたろう” で良くね?」と。

そうして、私達の子は「ようたろう」と命名された。漢字や、意味などは完全に後付けである。

きっと、多くの家でも、子供の名前なんか、そんなふうに決まっているのではないだろうか。そうであるといいなと思う。

書斎のレイアウト その4

気が付いたら、新居に暮らし始めてから1年たってしまった。
当初書斎は、割と趣味の部屋、という感じで考えていたが、このコロナ禍で完全に実用の部屋となった。

この1年で、当初の構想から変わったところもあれば、不変のところもある。
振り返りを兼ねて現状のレイアウトを見てみる。

無題3

当初は、東側の壁に机を着けるつもりだったが、まさかの机+本棚+キャスターで数センチ収まらなかったため、南側の壁につけることにした。

壁芯からの長さで考えていたという、初歩的なミスである。皆様気を付けたし(気にしていたはずが、バタバタしていたらどこかで計算が狂った)。

机、本棚、キャスターは、当初の予定通り、カリモクのボナ・シェルタ、色はモカブラウンにした。椅子はもう少し考えようとも思ったのだが、リモートワークが本格化し、待ってられなくなったこともあり、結局中古でCOACHエディションのリープチェアを購入した。定価35万のようだが、中古で6万前後だったかと思う。

PCは本棚の1段目に格納し、本棚~キャスターまで、デスク領域の幅が170センチほど確保できた。今は27インチのWQHDのモニタをディスプレーアームで固定して使用しているので、かなり作業スペースに余裕ができている。この最近は、新規に携わることになったプロジェクトの都合もあり、もう1台モニタを置こうかと、画策している。

植物は必須ということで考えていたが、手入れを考慮して、光触媒のフェイクグリーンにした。大き目のパキラである。ぱっと見、本元と差がなくてお気に入りである。

テレビは壁掛けにしようかとか悩んでいたが、机の配置を決めたら、すんなり収まったので、サブモニターとして使っている。電話会議などで資料投影されるとき、iPad上だと難儀するが、40インチのテレビに投影すれば閲覧はお手の物である。

今後は壁面をどう活用するのか、と、防湿庫、いい加減入れるかを検討していきたい。

書斎のレイアウト その3

ボチボチ家も完成が見えてきて、引っ越しの日も迫ってきた。
しばらく具体的に考えることを放置していた書斎のレイアウトを、再考してみる。

年明け前にぼんやりと考えていたレイアウトだが、改めて見返すと、L字デスクと本棚のサイズが過剰に思えてきた。実際に内覧で見てみた部屋のサイズ感からすると、もう少し小さくても問題はないし、逆に持て余してしまいそうだ。

また、LDKの家具調達をするために、各種家具を見てきたが、カリモク家具のボナ・シェルタがしっくり来たというのも一つ考慮ポイントである。

ということで、再考した第3案がこれ。

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デスク、チェスト、本棚はボナ・シェルタにし、必要に応じて追加で本棚(南西端)を置くことにした。

また、第2案時点で検討事項としていた防湿庫とテレビスタンドについては、据え置きとし、しばらくは運用して様子を見ることにする。

デスクサイズは当初計画の140cmに対して、110(デスク)+40(チェスト)の150cmである。
奥行きは45cmと60cmがあるが、PCモニタを使用しながらノートや本などを広げるとなると、45cmでは明らかに狭い。よって、60㎝とした。

折しも、コロナ情勢でリモートワーク必須の状況になっており、今後もしばらく同状況が続くであろうから、長時間快適に過ごせる環境を整えたい、そんな思いもあり、窮屈にならない、余裕のある配置にしたつもりである。

あと、癒しが必要なので、グリーン配置は必須である。

アナログとデジタルの境界と思しきもの

iPhone11 Proにスマホを変えてから、ここ最近、ずっと思案していた。

デジタルカメラは今後どうなるのか」
デジタルカメラは自分にはもはや不要なのではないか」

と。

数々の識者の方々がすでに議論し、議論しつくされた感もあるが、自身の中で考えを巡らせていた。

多くの識者と同じく、私もこの先デジタルカメラは、スマートフォンに淘汰されるのは避けられないと感じている。

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現状は、センサーやレンズといった、ハードウェアの物量差によって、デジタルカメラは優位性を保っているが、スマートフォンの演算性能が飛躍的に高まってきている状況を鑑みると、見てくれのいい写真はもはや、ハードウェアで「写す」のではなくソフトウェアで「生成する」時代になってきていると思う。それを、昨年末に買ったiPhone11 Proの吐き出す絵から、ひしひしと感じるのだ。

さらに、デジタルカメラスマートフォンで撮影された写真の消費の仕方自体も、PCの画面やスマートフォンの画面がほとんどであり、重厚長大なハードウェアから生み出される高精細な画像は、必要とされてないと感じている(等倍にしてじっくり観察するのが趣味なら別だが、ほとんどの場合において、見てくれがよい写真が望まれる)。事実、私がα7sにのりかえた理由の1つは、1200万画素で十分と感じたからだ。

そして、そのα7sに乗り換えた理由の2つ目である、夜間撮影に関しても、前述のとおりiPhone11 Proで代替できると感じ始めたとき、この先、デジタルカメラは自分にとって必要なのかと考えずにはいられなかった。

そんな中で、過去、自分がわざわざ、ガラケースマホのカメラではなく、デジタルカメラに手を出したのは何故かを振り返ってみたのである。

社会人になり、会社の用事で備品のミラーレス一眼を使うことになった時、シャッターの駆動する感触と音に心を惹かれたのが、デジタルカメラに手を出した始まりだ。何故心惹かれたのか、よく考えてみた。

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大学、高校、中学とさかのぼり、デジタルカメラからは縁遠い生活をしてきていた(そもそも写真というものに興味がなかった)が、小学生までさかのぼった時に、ふと思い当たる節があった。

それは小学生の時に、使われずにタンスの奥で眠っていたPentax-K2で、親父がタバコを吸っている様子を撮影した時だ。ダイヤルがゴチャゴチャついて異様な重量のそれは、小学生の私には意味不明な機械で、なんで同じカメラでこんな操作がたくさん必要なのかわからんと思ったものだ。
(当時我が家では、「写ルンです」が通常使われていた)

だが、親父に適当なレクチャーを受けてファインダーをのぞいた時の、光の鮮やかさと、シャッターを切った時のびっくりするような音は、鮮烈だった。そして後日、撮影した写真は現像されて手元にやってきたが、それまでの自分が知る写真というものとは、別次元の写りだと、子供心に思ったものである。

その時の感触、体験が忘れられないのだ。だから、私は社会人になって、デジタルカメラ(ミラーレス一眼)のシャッターの駆動する感触と音に心を惹かれ、当時NEX-6に手を出し、α6000、α7sと乗り換え、現在に至っている。

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長く自分の意識の表層から忘れられていたが、わざわざデジタルカメラを購入して使い始めたのは、そのような経緯であった。さらに、その当時の経験から、自分はカメラに何を求めていて、撮影の何を楽しみとしているのか、もう少し考えてみた。

幸い、これ以上ないヒントを与えてくれるものが手元にすでにあった。そう、親父のPentax-K2である。

私はこれを、現在の価値からするとバカらしいほどの費用をかけてOHし、フィルムを装填し、この1年で少しずつ持ち出して使ってきた。そして、つい先日、改めて持ち出して使ってみて、iPhone11 Proやα7sでは得られない、心惹かれる要素がわかった。

「自分の目で直接受けた光で構図を決める」
「どのように写るかは、自分の意思と体調次第」

この2点である。

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私は、キレイな、見てくれのいい写真を「記録」したいわけではない。その場で、自分の目で直接見て「あっ」と思ったものを、その時自分が感じたように、体の感覚まで含めて、「記憶」したいのである。事実、小学生の時、親父の写真を撮った時の「記憶」は、今も残っている。

α7sはよいカメラであると思う。だが、OVFである点やAF機構(これはここ最近MFのレンズばかり使っているので当てはまらないが)によって、その存在をスマートフォンのカメラと同列にしている。記録される完成イメージが目の前にあり、シャッターボタンを押すだけで撮影が完結してしまうので、記憶に残らないのだ。

スマートフォンはなおさらである。そもそも、吐き出される絵は、自分が見た瞬間のものですらない。ボタンを押した前後の数秒間に加工された画像を、何枚も合成して生み出された「CG」である。

そうして、私がこれから「記憶」をするために辿り着いたのがこれである。

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まさか自分がここに来てしまうとは思わなかった。値段が高いだけの代物とバカにしていたが、私が心惹かれる2点を満たし、より多くの「記憶」を作り出してくれると思える道具が、これだったのである。

デジタルにはデジタルの良さがある。アウトプットの管理が楽であるし、処理に時間を要さない。だが、デジタルの利便性を追求していくと、人の意思や記憶といった、アナログな要素から切り離された、つまらないものになってしまう。

この道具は、そのぎりぎりの境界にあると思うのである。

(iPhone11 Pro, α7s, Carl Zeiss Biogon T*28mmF2.8, Carl Zeiss Sonnar T*90mmF2.8, SMC Pentax-M 50mmF1.4, Sony Vario-Tessar T FE 24-70mm F4 ZA)

iPhone11 Proとα7sの夜王比較

iPhone7からiPhone11 Proに替えて、1か月近くが経った。

この間、嫁に付き合って夜ディズニーやクリスマスイルミネーションなどを見に行くついでに、iPhone11 Proのカメラ性能を見てきたが、スマホの画面でパッと見た感じ、十分写っているように見えるのだ。

以前使用していたiPhone7では、そのように思わなかったが、iPhone11 Proでは夜間の撮影含め、大きくカメラ性能が進化していると感じる。

これはもしや、α7sの出番が減ってくるのか、と思いながらしばらく様子を見ていたが、ならわかりやすく比較しよう、ということで、今更ながらやってみた。

比較する機材の詳細

タイトルの通りではあるが、もう少し詳細に記載する。

iPhone 11 Pro
超広角(13mm F2.4)、広角(26mm F1.8)、望遠(52mm F2.0)の3つのレンズを持つ。通称タピオカメラ。
センサーサイズは、超広角と望遠が1/3.6型、広角が1/2.5型で、画素数はすべて1200万画素(4032×3024)。

・α7S
比較対象のレンズは、Zeiss Batis 2/40 CF。40mmの解放F値2.0のレンズである。
センサーサイズはフルサイズ。画素数はiPhone11 Proとほぼ同じの約1200万画素(4240×2832)。
JPEG設定はExtraFine。

撮影条件

比較用の撮影時には、Batisの40mm画角に合わせて、iPhone11 Pro側を、40mmに近似する相当の1.6倍で撮影している。(厳密には1.53倍くらいだが、切り上げた)

また、絞り値はiPhone11 Proは解放の1.8、α7S(Batis)は2.2~2.5。双方JPEG撮って出しである。
(ふと後で比較してみようと思ったので、絞りを厳密に合わせなかったのは少し反省)

撮影結果

場所は芝公園のクリスマスイルミネーション会場。2ショット、上記「ほぼ」同じ画角で撮影してみた。
各ショット、全体画像と、中央およびコーナーを等倍切り出ししたものを比較する。
全体はサイズの都合上、解像度をPhotoShopで1/2としている

・全体
上がiPhone11 Pro、下がα7s(Batis)。
比較1

左がiPhone11 Pro、右がα7s(Batis)。
比較2

・中央切り出し
左がiPhone11 Pro、右がα7s(Batis)。
比較3

・周辺切り出し
左がiPhone11 Pro、右がα7s(Batis)。
比較4

総評

何も考えないでシャッターを押すだけで、それなりの絵が取れてしまうiPhone11 Proは実に驚異的である。
特に、スマートHDRのおかげで、サンタのオブジェ(1枚目)などは、白飛びがα7sと比較してよく抑えられており、表情が確認できる点が素晴らしい。

しかしながら、明るさが強調されるあまり、夜の雰囲気が失われている点は、少し残念である。

また、大きなモニタで閲覧したり、引き延ばしで印刷するようなことがあると、粗が目立つのは、夜景に限らず、iPhoneのセンサーサイズとレンズの限界と言える。

とはいえ、夜景撮影において、致命的なノイズ感もなく、スマホのディスプレイサイズでは粗も見えないのが事実であり、昨今の写真の共有手段を考えると、iPhone11 Proで必要十分と言える。
(iPhoneの写真は、圧縮音楽のように、パッと見たときに気にならないレベルで手を抜いている描写をしている感じだ)

これから、カメラを買おうという人は、よほど作品撮影をやるであるとか、大判印刷しよう、大きなモニタでマジマジ閲覧しよう、というつもりがないのであれば、iPhone11 Proで十分だと思う。荷物も少なくなるし、撮影枚数も増えるので、そのほうが幸せになれると思うのだ。

まぁでも、私はα7s手放しませんが。。。
(iPhone11 Proで撮影した写真は、L版でも印刷してみると、キレが足りないと感じるのである)

書斎のレイアウト その2

第一案を考えたのちに、すこしデスクのサイズについて再考してみた。
よくよく考えると、あまりにも盤面が広すぎるように思う。

おそらく、四隅の多くのスペースは、ほとんど使われない領域になるだろう。

また、PCがデスクの下というのも、現状の経験から言うと、廃熱に難ありである。
(今もデスクの下にいるが、熱がこもる)

というわけで、再考した第2案がこれ。

無題2
デスクのサイズを140センチ幅にする一方で、PC上部は空けて、北側に机と同じ高さの棚を置く案である。これによって収納と、机の面積を増やすことを狙う。

また、本棚については90センチ幅のものを1つにし、西側には現在もPCと一緒に使っているテレビを置く。

ただし、現行のテレビスタンドをそのまま使用するか、壁掛け金具を設置して掛けるかは、実際のスペースを見て検討することにする。

あとは防湿庫の置き方をがどうもしっくりこないので、もう少し考えたい。ある程度の重さと大きさがあるので、棚に置くということもできないだろう。かといって、デスクの下に置くのも、邪魔である。